昨日から東日本大震災の報道が多くなっています。
この年、震災の20日ほど前に富良野で兄家族と暮らしていた母が急死しました。
ショックを受けながらも、選対の事務局長だったことから悲しんでいる暇もなく、葬儀を終えると札幌に戻るような状態でした。そして3月11日、春闘交渉のため会社へ向かおうと車で走っていると、電柱がグラグラと激しく揺れ、交渉は中止。
組合事務所に着くとテレビでは、逃げ惑う車を飲み込む津波の映像。
行方不明者、関連死を含め21,969人が犠牲に、今も12万3千人が避難生活を送られている。犠牲者のご冥福をお祈り申し上げるとともに、非難されている皆さんにお見舞い申し上げます。
6年前の8月、母の初盆だったことから、供養も兼ねて連合のボランテイアに参加することにしました。私のグループは陸前高田市に派遣され、1週間でしたが田んぼの草刈り、がれき撤去、用水路整備などを行いました。私が行ったのは8月で整備も進んでいましたが、震災直後を想像すると、住民の皆さんの悲しみの大きさに言葉もありません。